自分はブログをバリバリかけると思ったけれど…
10歳くらいから「おはなしを書く人」になりたいなと漠然と思っていた。
その時は「自分でも書ける」って根拠のない自信があった。
国語の授業の作文以外ろくに書いたこともなかったくせに。
当時は読書少女で毎日のように学校の図書室はもちろん、住んでいるところの図書館に通っては本を読んでいたので「文章」に対してアレルギーなどはもちろんなく、それぞれの物語の中を自由に旅しては思いを千里のかなたまで飛ばしていた。
しかし、中学に入ったころからは読書の習慣は途絶えてしまった。
当時、日本全国で学校が荒れていた時代、図書室に出入りすることは「ダサい」ことのように自分には思えた。
こうやって書き起こしてみると、人目を気にして本を読むことを自ら放棄してしまった中学生の自分はなんて愚かだったんだろうと思う。
しかし、そんな状況でもなぜか「物書き」になりたいという思いは健在で、作家と呼ばれる人々を尊敬していた。
高校生になってからは自由に使える金欲しさにバイトに明け暮れていた。
稼いだお金は高校までの交通費と洋服・文房具に消えていった。
この時の私に「貯金」という概念を教えてやりたかった。
このころも作家への夢は相変わらず胸にあった。
でもなにかを書き残したわけでもない。
文芸部員だった同級生たちが文化祭で出した同人誌のレベルがめちゃくちゃ高くて腰を抜かすほど驚いた。
私の目から見たらまるでプロの作家のような腕前だった。
そっから先はなんだか気恥ずかしくなってあまり「作家」なりたいだなんて言わなくなってしまった。
でも思いは消えていなかった。
その後、外国語を勉強してある程度分かるようになってくると、「翻訳者」になりたくなった。
大学在学中に翻訳デビューを果たしたが、雑誌の記事や教材、特許などいわゆる「産業翻訳」の域で、「文芸翻訳」は程遠い世界だった。
なにごともそうかもしれないが、駆け出しの頃の方が無我夢中で楽しかった。
しかし、続ければ続けるほど苦しく思えることが増えていった。
苦しさを乗り越えるヒントが得られるかと思い、お金を払って「翻訳スクール」にも通ってみた。
が、最初のクラスではどう考えても一番できるのは自分で、目新しいことは特になかった。
次のレベルに進んだが、今度は先生のセンスが自分とは相容れなかった。
むしろ受講生でひとり、とても優秀な人物がいてその人の成果物を見てはため息をついた。
そのうちお金が続かなくなって通えなくなった。
根が怠け者なので仕事以外で自分で何か気に入った文章や作品を訳す作業はしなかった。
いや、最後まで作業できなかったといった方が正確かもしれない。
そんな私は自分で言うほど翻訳が好きなのではないのかもしれないと思った。
何より締め切りが嫌だった。
夏休みの宿題が毎年最後まで終わらないタイプだったので、締め切りに追われる翻訳の仕事は地獄だった。
ブログというものが世の中に出てきたころ、私が何をしていたかといえばクックパッドの自分のページでたまに日記をつけていた。
その後、私の「書く作業の場」はmixiや著名人のオンラインサロンの掲示板、フェイスブックなどに移り、二年前にWord Pressで自前のサイトなどを作ってみた。
が、やっぱり書けない。
言葉を選んでしまう。
人を傷つけないように
自分を傷つけないように
そんな風にしてたらだんだん書くことがつまらなくなってしまった。
SNSには「毎日発信していたら人生が変わった」的な記事があふれていて、目にするたび私もそうなりたいと思ったけれども
人が読んで役立つものが書けない
かろうじて書く意欲が湧くのは決まってメンヘラな記事ばかり。
ドメイン代もサーバー代もいろいろかかっているのになにも収益を生み出さない私のブログ…
自分の中身の薄さに辟易する。
なんで「自分には書ける」だなんて勘違いしたんだろう?
友人のあの人もこの人もすごい人ばかりに囲まれちゃって
卑屈さが日に日に募る。
オモテのブログでは一応ビジネスをするつもりで開設したのでこんな風に嫉妬に苛まれる自分の心情など綴れない。
だって仲間が見ているから。
その仲間に対する嫉妬、やっかみを書くだなんて。
頑張って成果を出している仲間に対して心から賛辞を贈れない自分。
100歩譲って「すごいですね」「よかったね」「おめでとう」なんてとおりいっぺんのコメントをつけることさえ苦しい時もある。
前向きに努力ができなくて腐ってしまう自分
頭ではわかっているけれど
どうにも身動きが取れずに今日も日が暮れていく
出てくる言葉は後ろ向きの言い訳のような言葉ばかり
ただ、この言葉たちも外へ吐き出さないと、ますます音もなく深海に降り積もるプランクトンの死骸のごとく、自分の内側に澱となってこびりついてしまうから
どうしたらいいのかはわかっている
ただここは吐き出す場所、共感してもらう場所にする
だからどうぞ「こうしたらいい」というアドバイスはしないでください。
そんなこと百も二百も承知なんです。
でも、それができなくて苦しくて気づいたら二年も経ってしまった
自分の芝生を手入れできなくなっているこの苦しさ
わかる人にはわかるのかな